2013年6月  2.共同体である教会の宣教
 教皇の宣教の意向は「新しい福音宣教」です。世俗化が進み、教会離れが目立つと言われる現代にあって、福音宣教に求められるのは共同体の一致でしょう。
 キリストはペトロに「私の教会を建てる」と言われましたが、この「教会」とは建物ではなく、本質的には共同体のことです。ですから、キリシタン時代の巡察師ヴァリニャーノ(1579年)師は、禁教令を見越して、教会は本来信徒の共同体であると指導したのでした。その結果、270年間の禁教時代に、キリシタンは信徒共同体(コンフラリア)である「慈悲の組(ミゼリコルディア)」や「さんたまりあの組」などを組織して、奇跡的に教会を存続させることができたのでしょう。
 もともとキリスト教とはキリストの神秘体です。身体のさまざまな部位は、もともと互いにかばい合うものであり、キリストの神秘体の心は、キリストのみ心なのです。そして、イエスは「わたしは柔和で謙遜な者だから」(マタイ11・29)わたしに従いなさいと、今も招いてくださっています。柔和とは、ヘブライ語で「慈しみを知る」ということです。現代キリスト教徒が、互いに「慈しみを知る」ならば、福音宣教は推進できるのではないでしょうか。
 互いに慈しみ合うことで豊かな共同体が育まれ、キリストのみ心が多くの人に伝わるようにと、この一週間の祈りをささげてまいりましょう。