2013年10月  2.福音を伝える
 この夏、軽井沢でシスター方とミサを捧げる機会が与えられましたが、自然の深さとそこでの祈りの生活には、まことの賛美が響き合っていました。自然の中で咲いているコスモスは背丈を超えて二メートル近くまで伸び、まさに小宇宙でより高く咲き乱れていました。深々とした樹々の緑と太陽の輝きの中で聖歌を歌っていると、まさに神秘が感じられました。そして、その深緑の影にひっそりと十字架の道行の庭園がありました。
 樹々に囲まれた庭園の中での十字架の道行には心打たれるものがあります。刑吏に押さえつけられ、十字架に釘づけにされているイエスの姿。まさに目の欲、肉の欲、生活のおごりに釘づけにされ、身動きのできない現代人を解放しようとしている救い主の姿が見えます。アシジの聖フランシスコは「みことばである御子はご自身のためではなく、わたしたちを罪から救うために捧げられたのです」と、すべてのキリスト者に宛てた手紙に記していますが、まさにその通りに違いありません。
 10月の宣教の意向は、「世界宣教の日」のためとなっています。キリストは御昇天の前に、「全世界に行って、福音を宣べ伝えよ。(マルコ16・5)」と言われましたが、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ5・3)」の山上のみことばは、まさに現代社会に対する福音です。人々は自分の幸せを求めて右往左往していますが、かえってそれが現代の競争社会をあおって人々を孤独にしています。結局強いものが勝つのであって、恵まれた少数者だけが幸せになるのです。
 現代社会の宣教は、「すべてのキリスト者がみことばを受けて出歩くだけでなく、それを実行すること」です。キリストは今も「福音を信じないお前は不幸だ」と諭されますが、福音宣教とは信じて行うことなのです。私たちも神から託されている宣教の使命を意識しながら、この一週間をささげてまいりましょう。