2013年11月  1.苦しんでいる司祭
 神から召され、それを素直に受け入れ、「人を漁(すなど)る者」として叙階された司祭は、社会のいろいろな分野で、福音宣教に励んでいます。教会司牧、教育、福祉などに、日々励んでいます。第二バチカン公会議後は、特に、シスター、ブラザー、信者の方々と、一緒に働くことが勧められ、そのおかげで、幅広く、いろいろな面で活躍できます。その中で、叙階の時にいただいた超自然の力を、人々に与えながら、働いています。洗礼、堅信、病者の塗油、そして、日常的には、ミサ(ご聖体)、罪の赦しなどです。
 しかし、このようなすべての活躍の場は、この世です。原罪の結果、悪霊が支配するようになったこの浮世は、涙の谷です。司祭もその影響のもとで、その状況のもとで、働いています。荒れ野の中で、模範を示してくださったイエスさまのように、意志が強く、誘惑を門前払いできる力が必要です。
 司祭は、神と親しく繋がっているものの、世を支配する悪霊は、元天使ですから、まともに立ち向かっては、必ず負けます。そこで、巧妙な罠を避けて誘惑に勝つには、神の力が必要です。神の力は、機械的に与えられるものではありません。祈りが絶対必要になってきます。悪霊の狙いの一番の的は、司祭です。有能な司祭ほど狙われています。挑戦している司祭、誘惑に苦戦している司祭、狙われている司祭たちのために、心をこめて祈りましょう。
 神は、人を司祭に召したからといって、苦しみのない状態に置かれたわけではありません。むしろ、「自分に与えられた十字架を避けることなく,いさぎよく担いで、ついてきなさい」と指示されます。司祭たちは、祈りつつ、黙々と十字架をかついで、聖務に励んでいます。霊性の向上のために、その実りを分かち与えてくださっています。司祭たちに、日々、力と、助けが、十分に与えられますように祈りましょう。