2013年11月  2.羊を牧する心で
 イスラエルの民が暮らしていた当時の社会の人々に理解しやすいように、司祭は、羊の群れを飼う牧者にたとえられます。プロテスタントでは、カトリックで司祭にあたる人のことを、牧師と言っているのは、ここから由来する呼称でしょう。聖書では、担当する人々を、羊の群れとたとえられています。イエスが、模範的なよい羊飼いとして示され、司祭の手本とされています。
 一匹一匹は、例外なく大切に、大事に保護され、養われます。一匹でも、病気になったり、反抗して素直さを失ったりすると、牧者は、苦しみ悩みます。教会や、学校、施設などで働いている司祭は、司牧する人々の中で、肉体的苦痛の場合は、容体を心配して、見舞いをして回復へと勇気づけます。精神的苦痛、心理的苦痛にかかった方には、どのように、霊的健全さに導くか、祈りながら苦しみ悩みます。
 自分の担当の外にある羊(人々)にも、神に対して一人でも多く関心を持つよう、特に良心的な人々などの救霊を願って、どのように働きかけるかを、祈りの中で探し求めますが、思うようにいかないときなど、苦しみます。
 また離れていった人々、微温に浸かっている人々のことを憂え、苦しみます。迷った人をどのように、神のもとに連れ戻すかといった苦労もあります。それは、再び見つけた時の喜びによって真剣さが示されます。
 イエスの場合、見つけた羊を肩に乗せて、諸天使たちとともに喜ぶのは、大袈裟なことではないようです。ゆるしの秘跡で回心する人々に、悩む人々に同情し、神の囲いへ戻す世話ができる司祭は、苦しむ人々を、主において解放してくれます。
 自分の弱さのために苦しむばかりでなく、担当する一人ひとりのもつ苦しみ、他の多くの人の苦しみによって、司祭がつぶれることなく、主の十字架に合わせて、自分と、人々を、御父に奉献できるように、力と、助けを祈りましょう。