2014年1月  5.いのちへのまなざし
 日本のカトリック教会は、13年前に、新しい世紀を生きるすべての人に、いのちの尊さを訴える司教団メッセ−ジとして「いのちへのまなざし」を発表しました。
 その「はじめに」には、次のように記されています。
 「それは、新たに始まった世紀の歩みとその発展が、神から一人ひとりに与えられたかけがえのないいのちを尊び、互いへの深い敬意と揺るぎない信頼の上に立って、国家、民族、言語、信条、宗教の違いを超えた共生の文化を築き上げることを願ってのことです。……他の何よりも、いのちは尊いものであるということを訴えたいのです。」
 「経済的に豊かになった日本の社会が、多くの人々の人間性の犠牲の上に成り立っていると理解しています。……経済的な発展を遂げることを最優先にして構築された社会のシステムは、子供たちを実に激しい受験・進学競争に走らせ、大人たちを寸暇のゆとりもないほど仕事に駆り立てる『組織の人』にしてしまいました。その結果、家族のきずなは希薄になり、家庭は空洞化し、教育の現場はすさみ、ベテランの教師にとっても授業を行うのが困難な状況になってしまいました。
 耳をすませば、家庭の中から、学校の中から、そして職場の中から、こうした経済優先の功利主義的社会の仕組みによって痛めつけられ、押しつぶされ、息絶え絶えになって苦しむ人々のうめきと叫びが聞こえてきます。利潤を追求し、物質的な豊かさを求めるあまり、能力があるかないか、役に立つか立たないかで人間を評価し、その結果、年老いた人々や病んでいる人々、ハンディキャップを負った人々が社会の片隅に追いやられています。こうしたゆがんだ人間観や価値観が、人々を不幸にしているのです。これを正さなければ、日本社会の明日はないとわたしたちは判断し、一人ひとりの人格が尊重され、人生が充実するためには、いのちの尊さやその神秘をあらためて確認していく必要があると考えました。……今世紀に入って、科学技術、とくに医療技術は格段の進歩を遂げ、生活は非常に快適になりました。以前には治療手段のなかった多くの病気が克服され、平均寿命も一昔前の時代には考えられないほど長くなりました。これは確かに称賛すべきことであり、そのために日夜研鑚に打ち込む科学者のかたがたに感謝を表明することにわたしたちはやぶさかではありません。……生と死にかかわるさまざまな操作において、人間の手が無原則に神の領域にまで立ち入ってしまうことに、危惧の念を抱きます。わたしたちは、その成果を利用する際に、超えてはならない一線があることを訴えたいと考えました。」
 そして「おわりに」では、次のように最後の結論づけています。
 「わたしたちには、現代の日本社会に生きる人々のいのちとその人生が直面している問題は、根本的に一人ひとりの生き方、価値観、人生観に帰するものである、という共通理解がありました。物質主義、快楽主義、この世の営みだけですべてが完結するという世俗主義、そして自分の幸せだけを追い求めようとする個人主義などが人々を不幸にし、この社会を行き詰まらせているという判断から、わたしたちは、何よりもまず人々にキリストが示された生き方を伝え、キリストのいのちを吹き込みたいと願ったのです。」
 司教団メッセージが示す社会に向けて歩みを進めることができるように、この一週間を祈りのうちに過ごしてまいりましょう。