2014年2月  1.高齢者
 日本では今、4人に1人が65歳以上の高齢者ですが、2035年には3人に1人に達する予想されています。日本ばかりでなく、世界中で高齢化が進行していますので、高齢者の知恵と経験が一層求められる時代への移っていくでしょう。教皇が世界共通の意向で願い求めているこの課題に、宗教・教派を越えて取り組んでまいりましょう。文字通りに、教皇の意向は「知恵と経験に富んだ高齢者が、教会でも、また社会でも尊重されますように」です。
 65歳を過ぎるということは「年取る芸術」を養う時期に達したということです。信頼と感謝の心で、「最後に最も良いぶどう酒を置いた」主なる神との出会いを準備する時期なのです。イエスは言った。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。……わたしの軛(くびき)を負いわたしに学びなさい」(マタイ11・28)。「くびき」は休息になるでしょうか。愛に生きるという「くびき」ですが、それよりも高齢者にとって休息になるのは、イエスと共にいることであり、すべての出来事をイエスと分かち合うことでしょう。人生を歩みながら、年取る知恵は「物を持つよりも、物を棄てて、自由になる」という悟りです。高齢者は貧しさを抱きながら、喜びのへと進むのです。ある女性が言っていました。「わたしは鏡で顔を見ると『年寄りになった』と自分に言うのですが、鏡を見なければ、決して年寄りだと思いません。魂はいつも若いと信じています。」皆さんはどう思いますか。
 いのちを愛することは、友情、協力、大自然と人々を愛することです。特に子どもたちを愛し、若者を理解することは、高齢者にとって具体的な宿題であります。
 自分が65歳に至っていない方も、高齢者の心を慮(おもんぱか)ってこの一週間を過ごしてみましょう。