2014年2月  3.福音宣教における協力
 福音宣教はすべてのキリスト者に与えられた根源的な使命です。教皇フランシスコは『福音の喜び』という初めての「使徒的勧告」の中で、その使命は「感謝する記憶」から生まれたと書いています。イエスは、教会共同体としてその使命を果たしていくように、聖霊を送って教会をお建てになりました。教会に集う信徒、修道者、司祭が、その召し出しの違いを超えて一つとなり、協力して福音宣教のために働くことができるように努めてまいりましょう。
 天の父は、御子を世に送ってくださいました。そして、御父と御子は、聖霊を送りました。聖霊は教会をつくり、私たち一人ひとりを全世界に普遍的な福音宣教のために送ります。教会は、内に閉じ込もるものではありません。聖霊の恵みと愛徳によって、全人類をキリストへと導くように努めます。しかし、まだこの使命は、完全に果たされていません。2000年を経た今日、キリストとその救いのメッセージを知らない人々もまだ多いのです。また、福音のメッセージをいただいても、それを忘れて、あるいはそれから離れている人々もいます。
 消費文明や個人的な快楽主義は、福音の道徳的な価値を無視しています。洗礼を受けたすべてのキリスト者は福音宣教の使命に参加するように責任をもっています(一ペトロ2・9)。ツイッター(Twitter)、フェイスブック(Facebook)、ユーチューブ(Youtube)やブログ、携帯電話などの新しい情報伝達手段は、人々の交信と交わりへの飢えを思い起こさせます。人間は社会的な存在として生まれましたし、人々は自然に協力し合いながら今まで生きてきたのです。教会もその共同生活の必要性を認めています。
 教会は神の民として、一人ひとりの側にいることを望んでいます。そして、その福音宣教の使命に、若者も高齢者も、男性と女性も、病気の人も障害をもつ人も、すべてのキリスト者を招いています。その福音の喜びを、苦しんでいる人々、痛みの中に生きている人々に伝えることが求められています。
 この福音宣教への招きに応えるように、この一週間、努めてまいりましょう。