2014年3月  4.召命
 若者が主の招きに応え、福音宣教できるように支えることが先輩の務めです。若い頃に大人から支えられて成長し、社会的にも活躍した年配者には、後輩を支える役目があります。穏やかに相手をつつみこんで育む、度量の大きさを備えた年配者こそが、成熟していて、神の慈愛を現世で表現できる者となります。
 14世紀から15世紀にかけて執筆された能楽の極意の覚書としての世阿弥の『風姿花伝』では人間の成熟の段階が述べられます。当時は平均寿命が50歳前後でした。世阿弥は、7歳から50有余歳に至る七つの段階を設定することで「役者の成熟」を捉えます。第一段階は7歳であり、好きなように子どもを舞台上で動き回らせて演技に対する興味をもたすべく勧めます。第二段階は12〜13歳の時期であり、容姿の面から言っても申し分なく、いかなる演技を試しても全部華やかに見えます。第三段階は17〜18歳の時期であり、声変わりや身体的な急激な変動が起こり、重心が定まらずに不安定な状況であるからスランプに陥りやすいがゆえに、あまり人前に出ずに、ひたすら基礎的な歌と舞の鍛錬に集中することで精神を研ぎ澄ますよう勧めます。第四段階は24〜25歳であり、ようやく声と身が安定するので、再び人前に出て活躍し始めるが、この時期の成果は一時的な華やかさに過ぎないので油断は禁物とされます。第五段階は34〜35歳であり、この時期に役者としての華やかさの境地に到達しなければ役者としての見込みはありません。その後、第六段階目である44〜45歳からは衰えが加速します。役者が肉体的に衰えゆく年齢が44〜45歳からなのです。衰えて活力がない状態で、いくらすぐれた演技を繰り出そうとしても限界があります。そこで、どうすればよいかを真剣に問いつつも、無理をしない自然体の演技を淡泊なふるまいで飄々とこなし、同時に後輩の演技を脇で支えることが重要です。つまり、〔1〕冷静な自己観察および自己受容、〔2〕自然体のふるまい、〔3〕後輩のサポートという三点を心がけるだけで、衰えを見せ始めた役者の演技が「いぶし銀のような輝き」を帯びます。言わば、「自分の分を謙虚にわきまえること」が欠かせません。最後の第七段階目としての50余歳の時期は、何もしないことによって、存在感の重みだけで勝負すべきことが説かれます。
 召し出しの道を進むには、躍進している時期と衰えの時期を冷静に見つめる内省の努力が必要です。そして、躍進している時期は先輩たちに感謝し、衰えてくる時期には後輩たちを気にかけて支えるという人間関係上の工夫が大事です。私たちは決して一人でプロの道を進めるわけではなく、むしろ先輩や後輩の間にはさまれながら、もまれて鍛えられ、共同体的なかかわりの中でこそ、自分らしさが自覚されます。とくに、落ち込んでいるスランプの時期には、〔1〕冷静な自己観察および自己受容、〔2〕自然体のふるまい、〔3〕後輩のサポートという三点を見直しながら自分の道行きを識別したいものです。
 後輩を育む心を抱きながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。