2014年6月 1.失業者 |
言うまでもなく、失業者の問題は大きく、各国の政府はいくら努力しても、なかなか解決できません。経済政策によって失業者の数は増減しますが、国の経済環境がどんなによくても、失業者が一人もいなくなることは決してありません。絶望ではなく、祈りしかないと言われています。言い換えれば人間の力では足りなくて全能の神に切に願う他はありません。しかし、失望している人のために祈りをするだけでは、意識を持った現代人として、責任を果たしたとは言えません。 失業は「複数の悪」だと言われています。それは一人の失業が、家族に悪い結果をもたらすからです。例えば子どもの学校の授業料を払えなくなり、学校に行くことができなくなる場合がよくあります。また、病気や高齢のため自分で稼げない人は、歓迎されないでむしろ負担と思われてしまうので、家庭内の対人関係は大変苦しくなります。 ところで、一番苦しみ悩むのは失業者自身です。自分が人間として、家族の一員として責任を果たさないで、子どもにも負担をかけることで、罪悪感や悔しさを感じています。自分がみじめで、本人は死にたくなるほどに行き詰まった状態に置かれています。気の毒です。どうしようもない悩みです。 ナザレのイエスは、このように苦しんでいた罪人や貧しい人を食事に招き、一緒に皆で力づけていたことでしょう。私たち教会も、このイエスの行いを、心がけたいものです。そして、切なる祈りとして、毎日、失業者のために祈りたいものです。 |