2014年7月  3.隣人愛
 今月の日本の教会の意向は隣人愛です。隣人を自分自身と同じように愛するというこの掟は、キリスト教の中心です。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13・34)」は、イエスご自身の言葉です。イエスが掟として私たちに与えた「愛し合う」こととは、どのような関係を築くことなのかを、考えてみましょう。
 日本語で「愛」といわれる事柄には、三つの意味があります。第一は、性欲、性愛に表れる本能の愛で、ギリシャ語ではエロスと言われています。これは、本質的な感情で、この感情によってホモ・サピエンスという種の生命が継承されていきます。第二は、親子、兄弟、夫婦の間に生じる心情の愛で、ギリシャ語ではフィレオ―と言われます。好き、いとおしい、かわいいなどの感情を伴います。これもまた本能的に人間に備わっている感情で、個体の生命を安全に保っていくために欠くことのできないものです。
 第三の愛は、聖書に記されている「愛」で、アガペーを翻訳した言葉です。これは良心の愛で、好き嫌いの感情を超えています。この愛のことを、450年前の日本のキリシタンは、「でうすのごたいせつ」と訳しました。つまり、どんなに相手のことが嫌いでも、たとえ、自分と全く違う意見を持っていても、さらには、自分を攻撃してくる敵であったとしても、相手を神がいつくしみをもって創造された人間であって、こちらが感情的に嫌いであろうがなかろうが、こちらを攻撃してこようが、私はその人の人間としての存在を認め、人として大切に思っている、という良心の愛なのです。
 おわかりのように、隣人を愛するということは、自分の隣で人間としてのいのちをいただいているその人を、一人の人間として認め、その人も私にとって大切な人だと認めることなのです。神は、私を大切に思ってくださいます。それと同じように、すべての人は、神にとって大切な存在なのです。そのことを受け止めて、私たちも、すべての人間存在を受け入れて、隣人愛に生きるように努めたいものです。
 私たちが、苦しむ人、悲しむ人の隣人となって生きることができますように祈りながら、この一週間を過ごしてまいりましょう。