2014年8月  1.祈りは無駄ではありません
 「平和のための祈りは無駄ではありません」と教皇フランシスコは、7月3日の昼の祈りで、バチカンのサンピエトロ広場に集まった数万人の会衆に向かって語られました。「武器と緊張を平和とゆるしに」と祈るように薦められました。
 日本の教会は、8月の意向として世界平和を掲げ、8月6日から8月15日を「日本カトリック平和旬間」として定めて、ともに祈りを捧げるさまざまな催しを、各教区で進めています。8月の「きょうをささげる」の意向を、まず、平和への祈りで始めることは、1945年8月6日に広島に、そして8月9日に長崎に原子爆弾の投下を受け、たくさんの市民が亡くなり、また被爆を体験した日本に住む私たちにとって、とても大切なことではないでしょうか。
 教皇の言葉は、「平和のための祈りは、悪を寄せ付けず、人々を暴力に屈服させない助けとなります」と続きます。「悪を退けますか」「はい」との洗礼式での応答は、信仰の道に入るときの表明です。ところが、どのようにして悪を退けるのかを、教会生活で身につける機会はあまりありません。それは、あまりにも基本的な信仰生活の中にあるから、気づかないのでしょうか。「祈り」のほかに、悪を退ける方法は、私たち人間には与えられてはいないのです。さらに深い祈りに導かれると、霊の動きを見極めることができる識別について養成され、悪い霊のうながしを退けて、よい霊の導きに従って「選定」する道が示されていくと言われています。
 「祈りは無駄ではありません」という教皇の言葉は、日々を祈りのうちに過ごす私たちにとって、大きななぐさめです。悪の力を寄せ付けない謙遜な祈りによって、平和を築いてまいりましょう。