2014年8月  4.新たな難民の創出
 イスラエルとパレスチナの戦闘がまた始まっています。ここ数日は、何とか停戦が続いています。ガザ地区(パレスチナ自治区)で活動するイスラム原理主義組織ハマスとイスラエル軍との対立がこの抗争の構造なのですが、今回の戦闘で22万人が家を離れて避難所での生活を強いられています。イスラエル軍はハマスが密かに活動しているとして民家をも爆撃するので、多くの市民も犠牲になり、自宅での安全が保証されないのです。家を破壊された人々や自宅に戻ることをあきらめた人々は、もはや避難民ではなく、まさに新たな難民となってしまうのです。
 自らの意志で難民になる人は一人もいません。生命の安全をまずは確保するために、あるいは家を失ってもとの暮らしに戻ることができないために、仕方なしに故郷を捨て、将来の不安を抱えながら流浪の旅に出るのです。教皇の8月の意向に書かれているように、難民は「否応なしに家を負われた」人たちなのです。
 このような悲しみや苦しみばかりでなく、仕事も同時に失っているわけですから、収入の路は途絶え、蓄えを使い果たしてしまえば、援助に頼るほかに生きるすべはなくなってしまうのです。施しを受けることは、ある意味で人間の尊厳を傷つけるほど惨めなことなのです。そして、そのような状況では、人間として生きる権利が守られにくいのです。
 東日本大震災と原発事故によって、日本でも未だに仮設住宅などで避難生活を続けている方々おられますが、その不自由さに輪をかけた、戦闘や内戦による難民の日々が続いていることを、しっかりと心にとめましょう。そして、行く先々で暖かく迎えられ、惜しみない愛情を注がれて、人としての喜びと希望を見いだすことができるように、私たちも心を合わせて祈りを捧げてまいりましょう。