2014年9月  3.「世界難民移住移動者の日」を前に
 人間存在にとって根源的な「住まう」という営みが、今日、さまざまな意味で危機に直面していると言えます。それは決して、住宅難の社会現象を指すのではありません。住む家があっても、「住まう」という営みが、仕事によって追い立てられており、利得と成功の追求によって不安定で安住しないものであり、娯楽とレジャーに魅惑されてしまっているのではないでしょうか。この事態は、今の時代の精神を規定している「土着性の喪失」として捉え直すことができるでしょう。
 この「土着性の喪失」とは、今日の世界における多数の難民の非人間的で悲惨な状況から生み出されていることは言うまでもありません。けれどもそれは、先祖伝来の故郷から追い出された人々だけでなく、大工業都市に働きに出て、その荒涼とした機構の中で自分の故郷との関係が疎遠になった人々にも、さらには社会政策によって一定の生活環境を保障されている人々においてさえも、起きている精神状況ではないでしょうか。
 キリスト教信仰は、慣れ親しんだ故郷を喪失した人々を、新しい世界性へと立ち返らせる、創造的な愛の息吹を放っています。神の慈愛の力は、歴史の中での束縛を超えて、私たちに解放をもたらします。よく知られた「善いサマリア人のたとえ」(ルカ10・30-37)に典型的に見出せる「だれが追いはぎに襲われた(=すべてを奪われ、故郷への帰り道を閉ざされた)人の隣人に、なったと思うか」というイエスの問いかけは、私たちに単なる習俗的な、倫理的基準を投げかけているのではなく、それらを根底から飛び越える、神の愛の情熱を奮い立たせるのです。「行って、あなたも同じようにしなさい」と呼びかけるイエスから、非人間的状態に陥れられた人々の「土着性の喪失」を打ち破って克服する、創造的な「神の国建設」の福音が流れ出ています。
 カトリック教会は、船員や航空関係の仕事で長く故国を離れて働く人々と、その家庭および子どもたちに対する司牧的配慮を常に心がけ、特に強制移動を余儀なくされた数多くの無国籍の人々、そして、絶えることのない難民生活の人々に対して「神の人類家族」として援助することを呼びかけてきました。毎年9月第4日曜日は、カトリック教会で「世界難民移住移動者の日」に定められています。私たちは、少なくとも日本で生活している難民・移住者・移動者たちを、「存在しない人」ではなく、私たちの大切な「教会の家族」として、祈りのうちに留め、愛の援助を心がけたいものです。