2014年11月  3.神学生と修道者の指導者
 日本のカトリック教会の神学生の初期の養成である哲学コースと助祭コースが設置されている日本カトリック神学院東京キャンパスでは、この11月24日に「ザビエル祭」と称した学院祭が開催されます。講演やミサが執り行われるほか、特設のステージでは、神学生たちが歌を歌ったり楽器を演奏したり、また、神学院の中を案内するプログラムなども行われます。神学院の運営に貢献できればと、さまざま団体が小さな店を出して、バザーのような賑わいも見られます。
 神学生の出身教会からは、時には貸し切りバスを仕立てて、たくさんの信徒が「ザビエル祭」に出かけてきて、まるで自分の子どものように育てた神学生が成長していく姿に、目を細めている光景も見られます。
 今月の福音宣教の意向は「神学生と修道者の指導者」です。彼らがよく養成された賢明な指導者に出会えるようにとの意向です。神学院での教育に携わる講師の方々、生活指導を担当するモデラトールの方々は、それぞれの役割をきちんと果たして、司祭への道を整えてくださっていることは間違いないと思うのですが、その方々のために祈ることだけで、この意向は実現へと進んでいくのでしょうか。
 召し出し(司祭・修道者への召命)は共同体の恵みです。もちろん、一人の人が神の呼びかけを感じて、神と人々への奉仕に自分のすべてを捧げる生き方を選ぶことが、いちばんの根っ子にあるわけですが、その気づきを促すときも、その気づきを育てるときも、周りにはキリスト者の愛に満ちあふれた共同体が存在しているのです。ということは、私たち一人ひとりも、今月の意向が示している「よく養成された賢明な指導者」の一人となる必要があるということなのです。
 神学生、修道者の召命と養成を人任せにするのではなく、キリストを囲む人の輪である教会共同体のすべてが、彼らを育てる責任の一端を担う自覚をもつことができるように、日々の祈りを捧げてまいりましょう。