2014年12月  3.親には見えにくい落とし穴
 教皇フランシスコは、イエスの誕生を祝うこの時期に、福音宣教の意向に「親」をかかげて、次の世代への信仰の伝承の鍵となる「親子」の関係を意識して過ごすように呼びかけています。
 親が子を思う気持ちは、特別なものです。すべての哺乳(ほにゅう)動物の中で、ヒトは最も未成熟な状態で誕生します。目もよく見えませんし、もちろん立つこともできません。母親が父親と協力して世話をし、そして他の家族や親しい人たちの支えを受けながら、ひたすら母乳を飲むことだけで、日ごとに成長して、少しずつ様々な能力を身につけていきます。
 子が幼い時期には、心と体が健やかに成長してほしいという願いが、親の心の中に自然にわき上がってきます。子を慈しみ、愛(いと)おしく育て、外敵や危険からは、命をかけて守ります。やがて、子が成長して、人並みのことができるようになると、「我が子」にはよりよい環境や機会を提供してあげたいという気持ちもわいてきます。これも親として自然な感情ですが、その中に大きな落とし穴があることも、確かなことです。
 「よりよい」という表現の背景には、何かしらの価値があるからです。社会一般が「優れている」とか「立派だ」と判断することが、いつも神の望みに叶っているわけではないからです。社会の価値観と、福音的価値観が大きくずれているのならば気づきやすいのですが、部分的に重なっていたり、区別しにくかったりすると、子のため生活のすべてをかけてできる限りのことをしてあげたい親は、「よりよい」方向を見誤ってしまうことが起こるのです。
 教皇は意向の中で、「真の宣教者である親が」と、親に条件を付けています。真の宣教者となって、見えにくい落とし穴も識別の力で見定めて、「信仰の恵み」を子に伝えていくことができるように、祈ってまいりましょう。そして、教会共同体にいただいた一つの幼い命として「子」を受け止め、皆で一緒に育てていくことができるようにと、祈ってまいりましょう。