2014年12月  4.子どもたちを護るために
 今年も、クリスマスがやってきました。キリスト教徒が3パーセントほどの日本でも、クリスマスは一大イベントです。子どもたちの夢は、サンタクロースからのプレゼントでしょうか。それとも、大きなクリスマスのケーキでしょうか。
 この時節に、神の子が、まったく無防備な状態で、自分では何一つできない赤ちゃんの姿で、この世にお生まれになったことの意味を、深く味わってみましょう。
 私たち一人ひとりは、いのちが宿る神秘を、どのように受け止めているでしょうか。宿ったいのちは、赤ちゃんとして誕生してくるのです。イエス・キリストも同じでした。旅先で宿もなかったマリアとヨセフは、馬小屋を見つけて出産の準備を整え、産声を待ちました。生まれてきたイエスを寝かせるところがなかったので、飼い葉桶の中に赤ちゃんのイエスをおくことになったと、聖書は伝えています。やがて幼いイエスは、マリアとヨセフに、そしてナザレの人たちに、大切に愛(いと)おしがられて育っていきました。ナザレの人たちは、イエスが神の子であることなどまったく意識せずに、ただただかわいい一人の子どもとして、大切に育てていったのでした。
 二千年の時が流れた今、子どもたちは「危機」の中に暮らしています。先日も武装集団によって学校が襲撃され、たくさんの幼いいのちが銃によって奪われました。学校に通わず、働いている子どもたちもたくさんいます。銃を持って戦場に向かう子どもたちもいます。ナザレの人たちがイエスを護り育てたように、すべての子どもが神の御心のうちに成長できるように、私たち大人は「子どもたちを護る」義務と責任を負っていることをはっきりと自覚し、日々の生活の中で出会う子どもたち一人ひとりの平安を祈ってまいりましょう。