2015年1月  2.奉献生活への招き
 私たちカトリック教会は、昨年の11月30日、典礼暦の始まりである待降節第1主日から、2016年2月2日「主の奉献」の日に記念される「世界奉献生活者の日」までの間を、「奉献生活の年」の特別年として過ごしています。これは、第二バチカン公会議の公文書『修道生活の刷新・適応に関する教令』発布から50年を機会に行われるものです。
 奉献生活とは、キリスト教信仰に徹して生きることです。清貧、従順、貞潔の三誓願を生きることを表明した修道者ばかりではなく、信徒の使徒職団体に属して、自らの生き方をイエスに倣って神に捧げることを公言した人たちなど、教会の中での身分の違いを超えて、多くの方々が奉献生活に招かれています。
 その本質は、神の望みを祈りの中で聞き分け、神のみ旨を自分の望み、自分の行いと重ねて生きようとすることにあります。ですから、毎日を朝の「きょうをささげる」祈りではじめ、夕べを「一日の振り返り」で閉じるこの運動に加わっている人たちは、すべて奉献生活を送っているということもできるでしょう。
 ここに、「奉献生活の年」を始めるにあたって、日本カトリック管区長協議会と日本女子総長管区長会の主催で行ったミサ(2014年11月22日・東京教区麹町教会)での、岡田武夫大司教の説教の一部を紹介いたします。

 「キリスト者はキリストの愛の実行へと招かれているとともに、日々の祈りの生活へと招かれています。それは、神の声を聞き、キリストの招きに応える生活の日々です。
 特別な環境の中で、誓願を守り日々祈りに励む人々の存在は、この世にあって神の国の到来の優れたしるしとなっています。日本はキリスト教徒の数が少ない国ですが、幸いなことに、祈りに専念する「観想修道者」の存在は一般の社会の人々にも少し知られており、日本の教会のなかに、「観想修道院」が根を下ろしていると言えます。観想修道院の存在と祈りの日々は、著しく世俗化したこの社会の中で、この世を超えた永遠の世界の存在、復活のキリストの存在を指し示しているのです。ところで観想修道院の修道者だけでなく、すべての奉献生活者は祈りの人であるはずです。奉献生活者は、祈りを通して世俗の中を生きる信徒、司祭(司教)を支え励まさなければなりません。奉献生活者と言っても世俗の只中におりますので、祈りを妨げる事情には事欠きません。従いまして、養成計画のなかに、多忙な使徒職活動の中で、いかに祈りを確保するのか、という重要な課題への取り組みをしっかりと組み込んでいただきたいのです。現代は祈りが難しい時代のように言われています。奉献生活者の皆さんには、祈りの生活の模範を示していただきたい、そして人々を祈りへと誘うようにしていただきたいと考えています。」

 この言葉を心にとめて、祈りの時間を大切に生きることを、今年の大きな目標として歩んでまいりましょう。