2015年1月  5.召命と使命
 日本の教会が意向として掲げている「キリスト者の使命」について思い巡らしてみました。その意向では「福音に忠実に生活」することが、使命に生きることだと、その道を示しています。
 召命はvocation(ボケ―ション)の訳語です。この語の構成要素はvoc [声]とate [にする]とion [こと]で、「神が声を出すこと」、あるいは、「神により告げられたこと」、という意味をもっています。一般的な会話の中では、「職業」を指し、その職業がその人にぴったりな場合には「天職」といった意味も含んでいます。私たちキリスト教においては、このvocationを召命と訳して、主として司祭や修道者に呼ばれることとして用いてきました。今から約50年前に開催された第二バチカン公会議では、召命は、司祭・修道者にだけでなく、すべてのキリスト者に向けて「神により告げられた」呼びかけであり、すべての人がイエス・キリストの福音の業にかかわるように招かれていることが宣言されました。つまり、神から、「福音を忠実に」生きる私に、「これを心して生きてください」と神が告げた固有の呼びかけだと理解するようになったのでしょう。
 使命は、一人ひとりに呼びかける神の招き(召命)に応える生き方であって、まさに神に「召された」私の命(いのち)が、神によって「使われる」命になると理解することができるでしょう。
 では、何のために使われるのでしょう。イエスの生き方に倣(なら)えば、イエスの福音に基づけば、それは明白です。貧しく、社会の周辺に追いやられた人々のために使われるのです。
 使命はmission(ミッション)です。この語の構成はmiss [送る]とion [こと]で、「送ること」を意味しています。キリスト教では、修道会、宣教会が伝道するための会員を派遣することに由来しています。一般的には、特別な目的達成のためになすべき事柄といった意味で使われます。
 召命と使命は常に対(つい)になっています。神に召された命は、人々のために使われる命なのです。そして、一人ひとりの顔だちが違うように、一人ひとりの召命と使命は違うのでしょう。自分に向けられた神からの固有のメッセージとして、私自身に神によって告げられた「キリスト者(として)の使命」を深める一週間といたしましょう。