2015年2月  1.囚人はみな犯罪者か
 今月の教皇の意向は、「囚人」です。囚の文字が示すように、「口」の中に「人」がいて、囲いの中に囚われて自由が奪われている状態の人を指しています。その理由として、さまざまなことが考えられます。このところ世界を騒がせている「イスラム国」は、自分たちの利益に反する人を捕え、武力で脅しながら自由を奪って、生命を管理しています。銃という囲いで人々が囚われているのです。その場合、囚人のほぼ全員は、犯罪者ではありません。
 近代国家の体裁を整えていると言われている先進諸国では、司法制度の下で基本的人権が守られているように感じられますが、すべての囚人が犯罪者、つまり、ともに社会の中で生きていく上でのルールを守らなかった人とは言い切れません。司法の限界でしょうか、冤罪(えんざい)は避けることのできないことです。
 さらには、自分の意志では犯罪者になろうとは全く思っていない人でも、自分の生命を維持するために、たとえば、もう食べ物を買うお金もなくて、他に方法を見出せなくて盗みをはたらく場合もあり得ます。
 一方では、犯罪を行っていながら、さまざまな方法でそれを隠して、善意の人のように日常を送っている人もいるはずです。さらには、権力を行使する立場を悪用して、他の多くの人を苦しめながら自分たちの利益を増す行為を、罪とは規定しないという施政者もいます。このように囚人に犯罪者のレッテルを張ってしまうことは誤りですし、犯罪者はすべて囚われていると思うことにも危険があります。
 教皇の意向にあるように、囚人、特に若くして囲いの中に入れられた人が、たとえ罪を犯していたとしても、人として大切にされるように、ともに祈りをささげてまいりましょう。