2015年2月 2.高山右近の霊性 |
日本の司教団は、現在、列福の申請を行い、教皇庁で審査のただ中にあるユスト高山右近について、ともに祈りをささげるように勧めています。 キリシタン大名として、高い身分にありながら、人々への奉仕に徹し、イエスの望みを生きた高山右近が、この「きょうをささげる」の生き方にしたがって毎日を過ごしている方々と同じように日々を生きていたことを確認してまいりましょう。 今年、信徒発見150年を祝う私たちは、プチジャン師が解明できなかった1603年出版された本――「全ての行いの内に一番大事なのは魂の救いである」から始まる――が、「スピリツアル修行」であり、それはロヨラの聖イグナチオの「霊操」であることを承知しています。そして、高山右近は、この「スピリツアル修行」を愛読し、それを生活の中で実践していたことも承知しています。 「スピリツアル修行」つまり「霊操」の骨格は、四週間わたって沈黙のうちに神との交わりを深める祈りのガイドブックと、日々をどのように過ごすかについて記された「日々の究明」から成り立っています。そして、この「日々の究明」こそが、私たちの運動「きょうをささげる」の日々の過ごし方なのです。 毎朝、その一日を、その日出会う人々と神にささげ、その一日を、神とともに振り返りながら、そのささげが神の望みに叶っていたかを識別する生き方、これが、私たちが勧めている生き方なのですが、高山右近もこのように日々を過ごしていたのです。 高山右近の霊性が、「きょうをささげる」の霊性と重なることに、大きな慰めと喜びを感じながら、私たちもこの生き方を日々の生活の中で実践できるように、努めてまいりましょう。 |