2015年2月  3.離婚した人々
 カトリック教会では、婚姻を秘跡の一つとして位置づけています。男女二人が夫婦となって、生涯にわたって愛と忠実を尽くすことを神の前で誓うことで、教会法上の婚姻が成立します。そして、教義のうえではその結婚は解消できません。つまり離婚が認められていません。
 しかしながら、現実には夫と妻の関係がうまくいかずに、夫婦生活を続けていくうえで大きな困難を抱える場合が生じることも、人間の営みの中で大いにあり得ることです。そこで、実態としては、教会のおきてを破った罪人となることを恐れて、たとえ夫婦が別々の生活をしていても離婚しないケースや、民法上の離婚が成立していてもそれを教会に届けないケースなどが生じてきています。
 教会法上でその離婚を受け入れることができるかどうかは、教会裁判所で審議されますが、そこで裁判官をした経験のある司祭が、「二人とも信仰においてすばらしい人で、人格的にも成熟しているのだが、その二人が夫婦として一緒に暮らしていくことができない現実があるのです」と分かち合ってくれたことがあります。互いに傷つけ合い苦しめ合う生活のただ中に二人を留めておくことが、神の望みだとは思えない現実も生じているのです。
 そして、教会は、離婚した人たちに冷ややかな目を向け、教会から排除し、傷つけてきたことも顧みなければなりません。昨年の教皇フランシスコが招集した特別シノドスでは、離婚したカトリック信者や、同棲するカップルに対する寛容な姿勢と評価を強く求めた声明が出されています。
 その文脈の中で、今月の教皇の意向は「離婚した人々がキリスト者の共同体に受け入れられ、支えられますように」と祈るように勧めています。追い詰められて自死した人々やその家族に対して教会の姿勢が大きく変わったように、婚姻の秘跡を続けることができない人々に対しても、教会の姿勢を大きく変える時がきているのです。
 教皇の思いに心を重ねて、離婚した人々にかかわる心を大切にして、この一週間を過ごしてまいりましょう。