2015年3月  4.教会の三本柱
 「サンタ・マリアの御像はどこ」という有名になった言葉は、今から150年前の信徒発見を象徴するものの一つです。日本の教会は3月の意向として、禁教の時代にも信仰を伝え続けてきた先達に感謝し、4年前の東日本大震災に示された時のしるしを思い、新しい宣教に力を尽くすことを掲げています。
 そして、新しい宣教については、「新しい熱意と方法をもって」と表現されていますので、これまで教会で行われていた「聖書勉強会」や「入門講座」といったスタイルに加えて、私たち一人ひとりがイエス・キリストを伝え、互いに大切にし合う「アガペー(愛)」を生きることに励みながら、信仰の仲間を増やしていこうという姿勢が込められているのではないでしょうか。
 イエスは、祈りの人でした。御父との対話を大切にし、絶えず神の望みを自分の行いに重ねることを心がけていました。迷いがあれば、人の目を離れて一人山に登り、神に祈り神に聴き、神の望みを汲み取っていました。イエスに倣う私たちも、まずは御父と祈りの中で対話し、神の望みを自分の生き方に重ねるよう、霊性を深めることが求められています。この神との交わりの術(すべ)である霊性を極めるには様々な道があり、信仰の先達はその道を私たちに示してくれています。そしてこの霊性は、とりもなおさず教会の三本柱の一つとして位置づけることができるでしょう。
 イエスは、弟子たちと愛に満ちた共同生活を送りました。イエスが示した道を生きる使徒たちも、豊かな共同体を生きていました。教会の三本柱のもう一つは、共同体です。人と人との間に愛が育まれ、互いのありのままを受け入れながら、さらに強く神の望みを生きることができるように、互いに支え合い分かち合う生き方は、教会の姿なのです。
 イエスは奉仕の人でした。病の人を癒やし、苦しみや痛みに寄り添い、人々を神のこの自由に導いて平和を築かれました。イエスの弟子たちもまた、苦しみや痛みに寄り添い、貧しく社会の隅に追いやられた人々のために働きました。人々への奉仕もまた、教会の三本柱の一つでしょう。
 霊性と共同体と奉仕の三本柱のいずれかに興味や関心を示した人がいれば、思い切って私たちの活動に招き入れて見てはどうでしょうか。一緒に祈るのもよいでしょう。一緒に分かち合うのもいいでしょう。一緒に人々のために奉仕するのもいいでしょう。この三本柱への招きは、もしかすると新しい宣教のためのヒントになるかもしれません。この一週間、ご自分の中にこの三本柱がどのように立っているかを確認しながら、主のご復活を祈りの中で待ち望んでまいりましょう。