2015年4月  1.陽は昇り、陽は沈む
 時間の謎の中で、私たちは人類は地球という惑星に、神からの賜である「いのち」をいただいて生きています。時間については、今日の科学の最先端においても、その始まりがどこなのかが確定できないでいます。138億年前にビッグバンという現象で宇宙が始まったとする説が有力とされていますが、時間がそのビッグバンから始まったのか、あるいはその前から時間があったのかは、議論の分かれるところです。ただ、時間について確実に分かっていることは「覆水盆に戻らず」のごとく、未来から過去へ戻ることは決してあり得ないということなのです。
 その138億年の歩みの中で、約129億年前に銀河系が誕生し、その中で46億年前に太陽系が誕生したと推測されています。そして地球は、46億年前に約1億年の歳月をかけて形成されたと考えられています。太陽の中心部では物質の核融合によって水素からヘリウムが生成され、その過程で莫大な光エネルギーが発生しています。そのため、太陽には明確は表面がなく、光の玉、つまり光球をなしています。太陽の光は、約8分経過して地球まで届きます。ですから、日の出で観る太陽は、実は8分前のものなのです。そして、光は8分経過するほどの距離を飛び続け、私たちが用いるエネルギーのすべてを運んでくれているのです。このように、宇宙の神秘は学べば学ぶほど未だに分かっていないことがたくさんあることに気づきます。私たち人類がそのメカニズムを解明しようとどうしようと、時間は流れ続けているのです。
 私たちの信仰は、「天地の創造主、全能の父である神を信じます」のとおり、この宇宙の万物をお作りになった全知全能の神の存在を大前提としています。その意味で、ビッグバンの前から時間は存在し、ビッグバンも神のみ手によってなされた神秘として捉えることができるでしょう。しかし、悠久の時の幅の膨大さは、イメージの枠を超えるほどです。
 教皇は4月の意向で、「神からの贈り物である天地万物に対する尊敬の念を、人々が学びますように」と呼びかけています。日ごとに東の空に昇り西の空に沈む太陽を眺めながら、悠久の時と広大な宇宙の一コマに生かされている私を感じ取って、感謝する日々を過ごしてまいりましょう。