2015年4月  4.労働組合
 日本の教会は意向として「若者の就労」を掲げ、若者に適切な労働環境とふさわしい報酬、休養の機会が与えられることによって、人間としての尊厳が守られるように、心を合わせて祈ることを薦めています。
 かつてカトリック教会は、労働者の運動や労働組合活動について、あまり肯定的ではありませんでした。その理由として、マルクス主義と労働運動の関係がありました。カール・マルクスは、資本主義の台頭により、資本家階級によって、労働を提供する「人間」の尊厳が損なわれ、疎外された状況が続いていくことを危惧して、資本家の暴挙に対抗するために、階級闘争を辞さない考えを示しました。そして、理想的な社会の姿として、労働者自身が働くための仕組みを管理し、成果を平等に分かち合う「共産主義(コミュニズム)」を提唱したのです。
 ところが、精神的な基盤としての共産主義の理念を浸透させたいがためでしょうか、それまでの精神世界を否定して「宗教はアヘン」と言ってキリスト教を糾弾したのです。「ヘーゲル法哲学批判・序説」に「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、悩めるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」という記述があります。当時のキリスト教世界が権力と深くつながっていたことも、このような表現が生まれた背景にあるでしょう。
 さて、カトリック教会は、1891年、レオ13世教皇による回勅『レールム・ノヴァールム』で、資本主義と、共産主義を目指す体制としての社会主義の双方を批判して、労働者の立場を擁護する方向性を明らかにし、労働組合運動を社会主義と切り離して考えるようにしたのです。マルクスらの「共産党宣言」から43年経っての回勅でしたが、それ以降カトリック教会は、この路線を歩んでいます。
 したがって、キリスト教の考えと労働組合運動は、決して対立するものではないのです。「適切な労働環境とふさわしい報酬、休養の機会が与えられる」ようにするためには、むしろ労働組合の存在を欠くことができません。日本国憲法で保障された結社の自由によって、労働者が労働組合を組織することは正当な権利だとされていて、それを具体化した労働三法では明確に「団結権」「団体交渉権」「争議権」が保障されています。労働者が自らの労働条件を人間らしいものにするための活動は、正当なものとして評価されるべきものなのでしょう。
 今月の日本の教会の意向を、「労働組合」に対する教会の見解、法制上の権利を正しく把握する機会といたしましょう。