2015年5月  1.無関心という罪
 新年度になって1カ月が経ちました。新しい環境の中で学んでいる人、働いている人たちも、少しずつ近くの人と親しさをましてきたでしょう。友になることは、決して簡単なことではないと、実感している人も多いと思います。
 人と人とのかかわりは、どのように深まっていくのでしょう。5つの「あい」ステップがあると言われています。何かのご縁で、職場やクラスが一緒になった人どうしは、まず、最初のステップとして「分かちあい」に招かれます。どちらからともなく、自分のことを知ってもらおう、相手のことを知りたいと、自分についてまずは「ポジティブ」なことを話します。好きな音楽のユニットや歌手、春休みにどこかに行って楽しかったことなど、互いに語り合います。
 何かのきっかけで、どちらかが「ネガティブ」なことを、例えば、「今日通勤電車の中で、変な人がじっと自分を見つめていてとても困った」などと分かちあうと、「あい」は次のステップ「支えあい」に進みます。「同じ電車に乗って通勤しよう」とか、「すぐに駅員に知らせたほうがいい」など、困っていることの助けとなるように、自分のできることを提供して支えます。これは、人間関係の深まりの、自然な流れなのです。
 「支えあう」関係が続くと、二人が一緒にいなくても、何かの折にその人のことが気になるようになります。「いま、通勤電車で大丈夫かな」とその人の心に自分の心を重ねるようになります。心と心を重ねることは「祈り」ですから、次のステップの「祈りあい」の関係に深まっていくのです。
 そして、次のステップは「励ましあい」です。その人がもっと成長してほしいと願うので、要求が厳しくなります。「もっと、〇〇しなくちゃだめだよ」などと、親しいがゆえに厳しいアドバイスも可能となるのです。
 そして、最後のステップは「愛しあい」です。信頼関係でしっかりと結ばれた二人は、それぞれが自分に与えられたこの人生を有意義に、生きることの意味を見つけ、いのちを尽くして生きることができるように願いあいながら、強い絆に結ばれて一緒に生きていくようになるのです。一般的な人間関係の深まりを5つのステップで表してみましたが、これは結婚の絆に導かれる男女にも言えることです。
 さて、教皇は、「苦しんでいる人々」に思いを寄せるようにとの意向を示されました。そして、「無関心の風潮を打破し」と述べています。善いサマリア人のたとえでイエスが教えられたように、「私には関係のないこと」として通り過ぎることは、罪なのです。それは、「分かちあい」から始まる人と人との豊かな関係を、自分のほうから絶ち切っている姿勢に他なりません。
 苦しんでいる人を支える気持ちが起これば、自分自身も「愛しあい」の関係に至ることができることを、自分の体験に重ねて思い起こし、無関心という罪に陥ることがないようにと、祈ってまいりましょう。