2015年7月  5.民意と憲法
 政治が動いています。時の政府(内閣)が、責任政党の立法府での議席数の圧倒的優位を背景に、行政府の権限を越えた暴挙を推し進めようとしています。
 この「きょうをささげる」のサイトは、人類にとって世界共通の意向、ローマ教皇が社会の福音化と福音宣教のために掲げた意向、そして、日本の教会が現代社会を平和に満ちた方向に導くための意向を、具体的にどのように日々の生活の中で祈っていくかについて、小さなヒントを提供することが目的です。ですから、特定の法案に賛成するとか反対するとかという意見を表明したり、あるいは強要したりすることは、このサイトの目的にかなわないかもしれません。しかしながら、今日の政治、社会の動きは、全人類のいのちに大きく関係していることであり、私たちの意見の総体である民意と大きくかけ離れているので、「集団的自衛権の行使を容認する安保法案」について論じて、この時代のイエスを頭とする教会として責任を果たそうと試みています。
 この法案について、国会(立法府)で参考意見を求められた憲法学者や元法制局長官らが違憲だと明言しているにもかかわらず、政府(行政府)は、「憲法に違反していない」と断言しています。その根拠として、過去の最高裁判所の判決を引用していますが、あくまでもそれは今の政府の判断で、歴代の政府の判断を超えているのです。
 前回も指摘しましたが、議会制民主主義の柱は、三権分立です。そして、司法府には、「違憲立法審査権」といって、国会の議決によって制定された法律が憲法に違反している場合には、それを正す権限が与えられています。ところが、わが国の新憲法発効以来、最高裁判所は、具体的な訴訟で国家の行為の合憲性が問われた時にしか、違憲立法審査権を発揮してきませんでした。国会に提出される法案が合憲か違憲かの判断は、実際は内閣法制局が行ってきました。
 内閣法制局が「集団的自衛権の行使を容認する安保法案」は違憲だと判断すれば、法案は提出できません。そこで、その長官を「違憲」だとする人から「合憲」だとする人に変えてまで、この法案を成立させようと動いています。
 現憲法は、その成立の過程に問題点があるとの指摘があり、改憲の動きも見られますが、現時点では何人も揺るがすことはできない強制力を持っています。司法がもつ「違憲立法審査権」が「集団的自衛権の行使を容認する安保法案」を止める手段にはなりにくいこれまでの慣例がありますが、本来の三権分立の精神に立ち戻って、行政府である内閣、その中心にいる総理大臣の暴走を押さえることができないかと願うばかりです。
 私たちは、署名活動や集会・デモに参加してのアピールなど、一人ひとりができることは限られていますが、小さな一つひとつの積み重ねで、いのちを守る道を切り開いていきたいと願っています。
 民意は、時として大きな過ちを犯します。「イエスを十字架につけろ」と叫んだ一人ひとりは民衆です。一人ひとりが、神が導く方向をしっかりと識別し、民意として表明していくことが大切なのは自明のことです。8月6日からは「日本カトリック平和旬間」がスタートします。平和を祈る前段階として、民主主義が道を踏み外さないように、祈りをささげてまいりましょう。