2015年8月 2.核兵器の廃絶に向けて |
8月6日、広島で開催された平和記念式典では、原爆投下の午前8時15分から1分間の黙祷がささげられ、原爆、そして戦争の犠牲者のために祈りました。広島市長は平和宣言のなかで核兵器の廃絶を訴え、対話と信頼に基づく安全保障の仕組みを作り出すことが必要だと説き、その運動を広島から全世界に発信していくことを呼び掛けました。被爆から70年を迎えたこの日の式典には、過去最多の100カ国の代表が参加し、参列者の数は5万5千人にのぼりました。 世界には約1600基の核弾頭が存在しています。そして、戦争で実際に投下された核弾頭は、広島と長崎の2基だけです。1945年8月9日の長崎への投下以降、核が使用されなかったのはなぜでしょうか。それなのになぜ、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦が対峙した冷戦の時代に、東西が競って核弾頭を製造し、その後各国は競って核保有国になっていったのでしょうか。その答えは明白です。一発で数百万人の生命を奪うことができる大量破壊兵器であることと、放射能汚染により未来永劫まで人類への危険がぬぐえないことの二つです。引き金に指をかけて銃を相手に向けたまま、打ったときに起こる事態が恐ろしくて、身動きがとれないのです。でも相手を脅すため、また、戦争の抑止力という口実で、この核兵器を無くすことに国際社会は動き出すことができないのです。 核の技術は、「平和利用」という聞き心地の良いことばに置き換えられて、発電に使われていますが、そこで生成されるプルトニウムは、まさに核兵器の材料なのです。北朝鮮の核開発も、イランの核開発も、平和利用の蓑に隠れて兵器製造を目指しているからこそ、国際社会で問題視されるのです。日本の原子力発電所も、状況は同じです。核兵器の廃絶運動は、原子力発電所の廃止運動と呼応していることを認識しなければなりません。 広島から発信された呼びかけに応えて、兵器も発電所も含めた核廃絶のために、共に祈ってまいりましょう。 |