2015年8月  4.神の似姿として創造された
 神は、私たち一人ひとりをかけがえのない人間として、神の姿に似せて創造されました。この世にいのちをいただいた全ての人は、互いに人間としての存在を認め、尊敬し合い、等しく神からの恵みを分かち合うことを、私たちを創造された神は望んでおられます。一人として例外はありません。全ての人が神から祝福されていのちをいただいているのです。ところが、人と人が関係を築きながら組み立てている「社会」では、必ずしも全ての人がその存在を認められ、等しい立場で生活しているとは言えません。そして、社会から受け入れることを拒否された人たちは、無視されたり、いやがられたり、いじめられたり、時には暴行を受けたり殺されたりして、人間らしい生活を送ることができなくなっています。
 このような人々、例えば、路上で野宿をしなければならない状況に置かれた人々、罪を犯して収監された経験のある人々、しばらく時代をさかのぼれば、重い皮膚病を患った人々、死体の処理を職業としている人々などは、英語でmarginalized(マージナライズド)と表現され、日本語には一般的に「社会の隅に追いやられた」と訳されています。marginal(マージナル)とは、「周辺」、「境界」という意味ですので、社会の隅に追いやられて、無視されたり、人間としての評価を受けられない人々を指しているのです。
 イエス・キリストは、積極的に「社会の隅に追いやれた」人々とかかわりました。そして、たとえ人間社会でその隅に追いやれていたとしても、「神はあなたを大切にしてくださる」ことを知らせ、神を愛し、神を信じる道を歩むように導かれたのでした。私たちキリスト者も、イエスに倣って社会の隅に追いやられた人々の隣人であることができるように、生活を整えてまいりましょう。
 また一方で、私自身も「社会」を構成している一人であることを自覚し、誰も排除されない社会に向けて、さらには神からいただいた恵みを平等に分かち合うことができる、差別や格差のない社会に向けて歩んでいきことができますように、祈ってまいりましょう。