2015年11月  2.ダイアローグ
 11月の世界共通の意向として、教皇フランシスコは「対話」掲げ、「誰に対しても、個人的な出会いと対話の道を、常に開いておくことができるように」と呼びかけています。「対話」とは、よくぞぴったりの訳語があったものだと驚いています。というのは、英語ではダイアローグ(dialogue)と表し、dyadとlogosの合成でできた語で、dyadは二つを、logosは言葉を意味しているからです。まさにダイアローグは、二人が言葉を交わす「対」「話」なのです。
 出会った人と言葉を交わすことは、何よりも大切です。自分を知ってもらうことも、相手を知ることも、言葉を交わすことから始まるのです。交わす言葉は深まります。自分のこと、自分のうれしかったこと、楽しかったことを伝え、相手がそれを受け入れてくれて、信頼が育ち始めると、自分の辛かったこと、苦しかったことも分かち合えるようになります。そして、出会いは分かち合い、そして支え合いへと深まっていくのです。
 二人の対話ばかりではありません。グループでも、団体でも、地域でも国でも、そして宗教でも、対話を深めると分かち合い、支え合いに発展していきます。しかし、そのためには、まず相手の尊厳を自分自身のものと同じように認めなければなりません。対等でなければ対話とは言えないのです。対話の難しさは、その出発点にある、対手を自分と同じレベルで受け入れることなのでしょう。
 教皇は、意向のはじめに、「たとえ自分と信念が違っていても」と、厳しい条件を付けています。信念の違う相手を、自分と同等に受け入れることができるようになるために、祈りをささげましょう。そして、出会う人と言葉を交わして、その関係が分かち合い、支え合いへと深まっていくように、祈り願ってまいりましょう。