2015年11月 4.テロと対話 |
またフランスで、同時多発テロが起きました。その犯行は、IS(「イスラム国」)によるものだと報道されています。シリアに拠点を置く国際的な過激派集団であるISは、宗教の名を借りて、犯罪的なテロ行為を「聖戦(ジハード)」に仕立て上げ、中東やヨーロッパ、また世界中からこの世に不満を持つ若者たちを呼び集めて、暴力(バイオレンス)によって社会秩序に混乱をもたらそうとしています。無差別な暴力の行使であるテロは、決して正当化できるものではありませんが、ましてやそれを宗教の衣で覆い隠そうとすることなど、決して許されるものではありません。 このようなテロ行為が起きないようにと、今やヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカなどが協力して、拠点地域であるシリアを空爆して、テロを壊滅しようと全力を注いでいます。ロシアも、自国の航空機がテロによって爆破されたことで、空爆を開始した経緯があります。テロという暴力に、暴力をもって報復しようと、攻撃がエスカレートしています。 最近、ある識者がインターネットを通して「テロ集団との対話が必要だ」と意見を表明したところ、一斉にたくさんの批判が寄せられました。「テロ集団との対話などあり得ない」というのです。果たしてそうでしょうか。テロという暴力には国家の軍事作戦という暴力をもって立ち向かうほかに、解決の道はないのでしょうか。対話は意味がないのでしょうか。 今月の教皇の意向は「対話」でした。「たとえ自分と信念が違っていても」「個人的なで出会いと対話の道を、常に開いておくこと」を祈るように勧めています。イエスは、非暴力を貫きました。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる(マタイ26・52)」と話されました。暴力を用いて自分の主張を貫こうとする人たちとも、対話の道が開かれるように祈りながら、毎日をささげてまいりましょう。 |