2015年12月  1.神のいつくしみ
 2015年も残すところ1カ月となりました。過激派武装勢力による無差別テロの不安を募らせながら、暴力のない平和な社会を打ち立てる夢を声だかに宣言しようとする営みが、「綺麗事(きれいごと)」と揶揄(やゆ)され、暴力と暴力が対峙した構造が継続しています。とても残念な状況ですが、その中にあって私たち一人ひとりは、夢を抱き続け、その実現のために自らをささげたいと願ってやみません。
 私たちの希望は「いつくしみ」です。神が私たち一人ひとりに示されたこの「いつくしみ」というこころの有り様は「愛」と「ゆるし」のかけ算とすることができるでしょう。足し算の場合、「愛」が100で「ゆるし」が0(ゼロ)でも、合計は100になりますが、かけ算ですとどちらかが0ならば、その結果は0になってしまいます。たとえ「愛」が100であっても「ゆるし」が0ならば、結果は0なのです。かけ算の場合、0を100万倍しても、0のままなのです。
 教皇は、今月の意向で「神のいつくしみの体験」を掲げ、「ゆるされた体験のない人々」が「いつくしみ」に触れることができるように祈るようにと、私たちをうながしています。ということは、「ゆるされた体験」をした時にはじめて、「いつくしみ」のこころに触れることができると言っているのでしょう。
 いつくしみは「愛」と「ゆるし」のかけ算であることを心に留めて、「ゆるし」のこころをもって「愛」を何倍にも膨らませて日々を送り、12月8日から始まる「いつくしみの特別聖年」の準備といたしましょう。