2016年6月  1.「連帯」を意識する
 都会での一人暮らしでは、朝起きてから夜寝るまで、一言も言葉を交わさないまま一日が終わることもあります。コンビニやスーパーなどでの買い物の際も、レジで表示された金額を差し出せば済みますし、ましてやクレジットカードでの決済となれば会釈すら必要ない場合もあります。街中には自動販売機があふれています。公共交通機関でも自動改札が普及しています。ボタンとカードの世界の中で、声を出す必要がますます少なくなっているのです。生活が便利になればなるほど、他の人との接触の機会が減っていくのでしょう。
 さらに、都会では、匿名性という人間関係の特殊な一面が現れやすいので、自分のことを全く知らない人に囲まれて日々を過ごしている場合も多々あります。事件などにまきまれないように、表札には苗字しか表示しなかったり、女性の一人暮らしだと分からないように洗濯物を干す時に、わざわざ男性用の下着や靴下もつるしておくなど、プライバシーが外に漏れださないように、さまざまな工夫をしている方も多いのでしょう。
 元気で健康な時は、このような生活環境は、誰からも邪魔をされずに、自由気ままに過ごせるので快適なのでしょうが、ひとたび健康を害したり、高齢になったりすると、孤立した状況が生じてしまいます。最近起きた熊本地震では、大きな災害だったにもかかわらず、被災した熊本地方にはしっかりとした地域社会が存在していたため、どこにどのような人が暮らしているか、周囲の人たちがその情報を共有していたので、救助に役立ったことが挙げられています。その点、都会で同じような災害が発生した場合には、隣の家でさえどんな人が住んでいるか知らないこともあるのですから、救助や救援で戸惑ってしまいます。
 教皇は、都市の生活のマイナスの部分、つまり、匿名性と孤立性にかんがみて、「連帯」をとりあげ、「出会いと連帯の機会に恵まれるように」との意向を掲げています。事が起きてからでは、出会いと連帯のきずなを作ることが難しくなります。普段の生活の中で、一歩一歩、人との出会いを重ね、互いに分かち合うことができる絆を、積み上げていきたいものです。この一週間を「連帯」を意識して過ごしてまいりましょう。