2016年7月  1.高山右近の列福式
 私たち日本の教会の祈りが実り、ユスト高山右近の列福が今年の1月21日に教皇フランシスコによって承認されたことは、1月のこの欄で紹介致しましたが、このほど教皇庁国務省は、列福式を2017年2月7日(火)正午から大阪市で執り行うと発表しました。
 その発表を受けて、日本カトリック司教協議会列聖推進委員会事務局とカトリック大阪大司教区事務局企画広報部からの発表で、教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿が教皇代理となってこの列福式を司式し、会場を大阪城ホールとすることを発表しました。
 ここに、カトリック中央協議会がプレスリリースの添付資料として発表した「ユスト高山右近殉教者」についての説明を紹介しましょう。

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 新たに福者の列に加えられるユスト高山右近(1552年・天文22年 摂津の国 高山生〜1615年・慶長20年マニラ没)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、人びとに大きな影響を与えたキリシタン武将として広く知られています。織田信長や豊臣秀吉らの信頼を得て重用され、栄達を約束された道を歩むかに見えました。しかしキリスト教に対する政策を大転換した豊臣秀吉から信仰を捨てるよう厳命されたとき、信仰を守って改易されました。加賀の国の前田家に身を寄せながら領民に慕われた右近でした。しかし1614年に徳川幕府が打ち出した厳しい禁教令のもとでも信仰の自由を守りぬき、同年末、祖国を追われてマニラに流されました。右近は、キリスト教国であったフィリピンの首都マニラで大歓迎を受けましたが、直後に病を得、翌1615年2月3日未明、静かに息を引き取りました。
 才能、財産、地位、名誉で人間に優劣を付けようとする社会的な価値観で見るなら、大名を改易された後の右近は、没落の一途を辿ったように思われるかもしれません。しかし揺るぎない永遠の愛で人を生かす神への信仰に生きた右近は、迫害を受けたとしても、いっそう幸せになる道を進んだといえるでしょう。人が、真に人として生きる道は、ここにしかないという確信です。
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 7月の日本の教会の意向は「列聖運動の推進」です。右近の列福式のために、ふさわしい準備が進められるように、そして、「ペトロ岐部と187殉教者」「日本205福者殉教者」「エリザベト・マリア北原玲子」の列聖列福が認められるように、私たち一人ひとりも祈りをささげてまいりましょう。