2016年8月  1.スポーツと平和
 今年の夏の甲子園出場の代表校が、日ごとにマスコミをにぎわせています。地方大会を勝ち進んだ選手たちは、全国制覇を目指して準備に余念がありません。
 勝ったチームの喜びと、負けたチームの悔しさが、青春の心に大きく刻まれていきます。一定のルールの中で、自分のもっているものをすべて出し尽くして戦うスポーツは、観戦している人々にも感動を与えます。
 そしてこの夏、ブラジルのリオデジャネイロで4年に一度の夏期オリンピックが開催されます。自分を磨いて、この世紀の祭典に選手として参加する一人ひとりは、ベストを尽くして競技し、自分の到達点を確認すべく、世界の強豪たちと競い合うのです。
 一定のルールに従って戦う姿は、競い合うことと誠意を尽くすことの結果として、敗者は勝者をたたえ、ともにいのちの輝きを感じ合う瞬間を存分に味わうのです。ここで大切なことは、ルールとジャッジです。互いに精一杯に競技するのですから、その勝敗は当事者では判定できません。すべての競技にはルールとそれを執行する審判がかかわり、その勝敗を客観的に判定するのです。ですから、教皇の意向にもあるように、「スポーツが友情を育むよい機会となり、世界平和に貢献することができる」のでしょう。甲子園の舞台に出場する高校野球の選手たちだけでなく、スポーツを通してベストを尽くそうとしているすべての人々が、ルールの遵守と、競技相手の人間の尊厳の尊重を確たるものにすることによって、スポーツが平和へと繋がっていくのでしょう。
 ドーピングという、薬物による肉体改造の誘惑を断ち切り、人間として神からいただいた「この体」を精一杯使って、甲子園で、そして、リオデジャネイロで選手一人ひとりが競技することができるように、祈りをささげてまいりましょう。
 そして、国際紛争、例えば、中国が南沙諸島の領有権についてなどの解決にも、ルールの遵守と審判の判断に従うことが平和への道であることを、当事国の指導者が受け入れることができるように、祈ってまいりましょう。