2016年9月  1.人が大切にされる社会へ
 この世にいのちをいただいた一人ひとりは、だれもが美しく輝いていて、その堂々とした姿は、常に大切され、護られなければなりません。「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」とは、1948年12月10日に第3回国連総会において採択された「世界人権宣言」の前文の冒頭のことばです。国籍や人種、職業や身分、宗教や信条、病気や障害の有無など、みなそれぞれ違っていて、一人ひとりの人間は、誰一人として同じではなくそれぞれが固有なのです。そして、その固有の存在は、すべてが受け止められ、受け入れられなければならず、また自由が保障され、平等に扱われる権利をもつことが、国際社会で承認されて、もう67年が経過しているのです。
 基本的人権と人間の尊厳にについて、理念としてはこのような共通認識に至ってはいますが、人が大切にされていない状況は、私たち一人ひとりが抱く差別や偏見によって、そして、国家権力や武装勢力などによる支配と強制によって、今なおさまざまな場面で生じていることも事実です。
 教皇は、9月の世界共通の意向として「人間中心の社会」を掲げ、「人が常に大切にされる社会の建設」を呼びかけています。いのちを大切にする努力は神の望みに叶っています。またそれとは反対に、いのちを蔑(ないがし)ろにする行いは、すべて神の望みに背(そむ)いています。悪の力が働いているのでしょう。その行いは、日々の一つ一つの小さな行いの上に重ねられていくのです。
 この地球上で、時を同じくしていのちを分かち合って生きている人すべてが、互いを大切にしながら生きていくことができるようにと祈り、また一つひとつの行いの中に人を大切にする心を込めて暮らしていくことができるように、祈り合って参りましょう。