2016年9月  3.オリンピック、パラリンピックでの難民選手団
 オリンピックに引き続き、パラリンピックがブラジルのリオデジャネイロで開催されています。それぞれの開会式で様々なメッセージ、例えば、地球の限られた資源を大切に分かち合っていくこと、人種や民族による差別のない社会の建設などを演出の中で表現しようと、いろいろな出しものが映像を通して世界中に伝えられました。そして、今回のオリンピックやパラリンピックで、これまでの大会にない措置として、国や地域を代表することがかなわない、難民の方々が、「難民」という枠で参加するルールが新たに設けられました。
 そもそも古代ギリシャでは、オリンピック開催中は、戦闘状態にあるポリス同士が一時停戦をして、スポーツで競い合うといった一時(いっとき)の平和が、国家間で営まれてきました。この平和の祭典の伝統を汲んで、今回は難民となったアスリートが、堂々とオリンピックやパラリンピックで自らの鍛錬の成果を表現する機会が与えられたのです。
 開会式の入場のパレードでは、オリンピックでは10人の難民が、そしてパラリンピックでは2人の難民が、同時に入場行進の列に並ぶ母国、例えばシリアだったり南スーダンやコンゴ民主共和国だったりしますが、その選手団とは別に、先頭を切って笑顔で入場を果たしました。国際社会が、難民の存在をはっきりと承認していることの証しとして、全世界にこの映像が伝えられたのでした。
 日本の教会が掲げる9月の意向は、「難民移住移動者の子どもたち」です。国際社会が難民を受け入れる基準と、日本が国家として難民を認定する基準に、大きなずれが生じていることは、たびたび社会問題として指摘されていることです。その日本に住む私たち一人ひとりが、難民選手団の健闘を称え、また、パラリンピックでの活躍を期待しながら、オリンピックやパラリンピックに難民として参加する選手たちの痛みと苦しみを共感して、この一週間の日々を祈りのうちに過ごしてまいりたいと思います。