2016年9月  4.マザー・テレサの列聖
 この9月4日、コルカタの福者テレサが列聖されました。マザー・テレサと人々から親しく呼ばれた新聖人について、教皇フランシスコは「その全生涯を通して、神のいつくしみを惜しみなく分け与える人でした。誰にでも自らをささげ、あらゆる人のいのちを受け入れ、胎児や見離された人、捨てられた人を守りました」と語られました。
 9月の教皇フランシスコの意向は、「人間中心の社会」に向けて、一人ひとりが自らをささげ尽くすことを掲げていますが、その模範は、まさにコルカタの聖テレサの生き方に示されているのです。そしてまた、教皇の言葉にある「誰にでも自らをささげ」る姿勢は、まさに、その一日を神とその日に出会う人に自分のすべてをささげる、この「きょうをささげる」祈祷の使徒の目指すところでもあります。
 ヨーロッパで生まれ育ち、インドの地に派遣されてイエスの福音を宣べ伝えた聖人の一人に、聖フランシスコ・ザビエルをあげることができるでしょう。自分が出会った誠実な人々が一人でも多く天の国に入ることができるようにと、ザビエルは一日に何千人もの人に洗礼を授けたと伝えられています。16世紀の時代背景においては、そのような宣教の方法が一般的だったのですが、500年ほどの時が流れた今日において、それがふさわしいかは疑問の余地の残るところです。同じインドの地に派遣された宣教師であるマザー・テレサは、あらゆる宗教の人に対して、その人の信仰を尊重しながら、一人ひとりの看取りをていねいに行う活動に専心されたのでした。「あらゆる人のいのちを受け入れ」たと評される所以(ゆえん)は、まさにこの点にあります。そしてこの姿勢こそが、教皇の意向で述べられている「共通善のために尽くすこと」にほかなりません。
 聖人の列に加えられたコルカタの聖テレサの生き方にならって、「神とそして出会う人びとに、きょうの私をささげ」て、神のいつくしみを惜しみなく分け与える日々を重ねて参りましょう。