2016年10月  1.情報発信の責任
 私たちが受けた教育で、5W1Hという表現で記憶に残っている情報伝達の基本があります。5つのWとは、いつ(When)どこで(Where)誰が(Who)何を(What)なぜ(Why)であり、1つのHとは、どのように(How)であると習いました。教皇が今月の世界共通の意向として掲げた「ジャーナリスト」は、とりもなおさずこの5W1Hを正確に伝える責任を持つ専門職なのです。
 ところが、時としてこの5つのWも1つのHも、すべてが情報のねつ造であったり、あるいは事実無根であったりする事態が、今日のマスコミで起きていることも事実です。最近のニュースでは、ゲームの国際大会で優勝したと報道された人が、その大会の時期に渡航していなかったことが判明して、誤報した報道機関が謝罪しています。戦後のジャーナリズムの歴史の中では、慰安婦問題、珊瑚(さんご)記事ねつ造など、私たちの関心が高い、しかも、これからの社会を組み立てていく上できわめて重要なトピックが、誤報だったとされているのです。このような状況で、私たち一般市民は、「何を信じてよいか、まったく分からない」と不安を表明するばかりです。
 教皇の意向は「ジャーナリストが倫理に忠実な姿勢を保つ」ことに重点を置いています。ねつ造であるかどうか、あるいは、根拠が信頼に足るものであるかどうかは、情報を発信するジャーナリスト本人が、よく掌握しているはずです。しかし、スクープ記事を発信したい誘惑に駆られたり、世論をある方向に傾けたい熱意だけが暴走したりして、事実をねじ曲げて情報を発信してしまうことはなかったでしょうか。まさに、倫理の問題なのです。何が悪いことなのか、何が許されないことなのかは、ジャーナリスト本人が自ら制御すべきことです。
 このように、情報を発信する立場にある人たちは、大きな責任を負っています。さらには、今日のインターネット社会においては、誰もが情報発信源になることができるので、私たち一人ひとりも責任を持たなければなりません。
 ふだんの会話の中でも、5W1Hを正確に伝えることを心がけながら、ジャーナリストの正確な報道を願い、そのために祈りをささげましょう。