2016年11月  2.死者のために祈る
 11月は死者の月と言われます。日本の教会は11月の意向として、「孤独のうちに死をむかえた人たち、自死に至った人たち、誕生の前にいのちを奪われた子どもたち」のために祈るように勧めています。
 東京・四ツ谷の麹町教会主聖堂では、12日(土)に「ホームレスの死者のための追悼ミサ(レクイエム)&ホームレスのホスピス・ケア施設についての解説と映像の上映」という催しが行われ、また、26日(土)「自死された方々のためにささげる追悼ミサ」が執り行われます。このように、日本の教会の意向にそった祈りの輪が拡がっていますが、集会やミサに参加できない私たち一人ひとりも、日々の祈りの中で、黙想し、神に向かって「すべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください」と祈り願いましょう。
 ところで、信仰に生きる人々の間でも、自死についての誤った認識がなされていることがありますので、ここで日本の司教団の公式な見解を確認しておきましょう。21世紀の到来にあたって、2001年1月1日に日本カトリック司教団は「いのちへのまなざし」というメッセージを発表しました。その第3章「生と死をめぐる諸問題」の二節で「自殺について」取り上げて、61項の終わりに「残念なことに、教会は、『いのちを自ら絶つことはいのちの主である神に対する大罪である』という立場から、これまで自殺者に対して、冷たく、裁き手として振る舞い、差別を助長してきました。今その事実を認め、わたしたちは深く反省します。この反省の上に立って、これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としているその遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう、教会共同体全体に呼びかけていきたいと思います」と綴られています。
 メッセージの60項にもあるように「自殺者たちの切ない叫びを真摯に受け止め、その心をしっかりと見つめ、その悩みや苦しみに共感し、それに寄り添って生きていけるような社会をわたしたちが築いていけることを願っています。それは一人ひとりの責任なのです。」
 身近な人の死について思い巡らしながら、「孤独死」「自死」「胎児の死」で亡くなった方々、そして、すべての死者のために祈る一週間といたしましょう。