2016年11月  4.新しい教会の姿
 今月の教皇の福音宣教の意向として、「司祭と信徒の協働」が取り上げられています。「それぞれの小教区で、司祭と信徒が、落胆することなく協働して、教会への奉仕に励むことができますように」と祈るように、世界中の教会に呼びかけています。第二バチカン公会議から約半世紀がすぎた今、世界の正義と平和のために働く教会は、司祭と信徒がともに支え合いながら奉仕に励むことが求められています。
 この意向は、全世界の教会に向けて発せられたものです。ということは、世界中のさまざまな小教区で、司祭と信徒との協働がうまくいっていないことをうかがわせるものだとも、言うことができるでしょう。その原因は、司祭にも信徒にも、どちらにもあると考えられます。
 教会は、イエスの受難と復活の後、二千年もの間揺らぐことのない信仰を継いできました。この背景には、カトリック教会の組織としての特徴である「ヒエラルキー(ハイアラーキー・階統制と訳されることもある)」の存在があります。教皇→司教→司祭→信徒といったしっかりとしたピラミッド型の組織によって、信仰の正当性が貫かれてきたのです。教会法においては、小教区の司牧の責任のすべては、その小教区の主任司祭に帰属しているのです。
 一方で、第二バチカン公会議は、信徒の使徒職の大切さについて、はっきりとした見解を示しました。特に「信徒使徒職に関する教令」では、「信徒は、キリストの祭司職、預言職、王職に参与するものとされ、神の民全体の使命の中で自分なりの役割を教会および世において果たしている」として、聖職階位についているものがある種の任務を信徒に委任する形で、協働して教会の使命を全うするようにと勧めています。
 教会の現代化(アジョルナメント)のために第二バチカン公会議が示した「信徒の使徒職」について、信徒の側がその使命をはっきりと自覚しているとは言えません。福音宣教の使命は、もっぱら聖職者、修道者だけのものと思って、日々そのために祈りによって支えることが自らの役割だとの思いにとどまって、聖職者、修道者の意向に盲目的に従ってしまうことすら起きかねないのです。このような状況では、協働することはできません。
 新しい教会の姿が求められています。司祭修道者の召命が減少している中で、信徒の果たす役割は一層大きくなっていく中で、さまざまな領域で、さまざまな形での司祭と信徒との協働が始まっています。小教区での信仰入門講座、ミッションスクールや社会福祉施設、病院などでのマネージメント、などなどです。そこでは、目的と使命とについての共通の認識のもとで、司祭、信徒それぞれの召命の違いを超えた、深い信頼関係のもとでの協働が実現しています。
 この一週間は、司祭も信徒も、一人ひとりが、それぞれにふさわしい召命をいただき、キリストの祭司職、預言職、王職に皆が呼ばれていることを意識しながら、司祭・信徒が協働して新しい教会の姿として社会に奉仕できるように心がけ、ともに祈りをささげてまいりましょう。