2016年12月  5.この一年をふり返ると
 毎月掲げられる、教皇の世界共通の意向と福音宣教の意向、そして日本の教会の意向を心に留めて、心を合わせて祈りをささげてきた一年が終わろうとしています。この機会に、この一年をふり返ってみてはいかがでしょうか。
 生活をふり返るための方法として、古くからの教会の伝統には、糾明(きゅうめい)がありました。ミサの時に唱える回心の祈りのことばにあるように、「思い」「ことば」「行い」「怠(おこた)り」によって、自分が神の望みに応えることなく罪を犯したことを内省して、神に立ち戻る心の営みとして、奨励されていました。
 ロヨラの聖イグナチオも、この方法がとても大切だと力説していました。ところが、犯してしまった罪にばかり目をやっていると、神とともに生きる喜びが薄れてしまうことに、私たちの先輩方が気付き、第二バチカン公会議以降は、一日の中で大きく心を動かされたことに注目して、そこに神の業が働いていたかどうかを味わい直してみる方法がとられるようになりました。訳語としての「糾明」も「究明」という字を用いるようになって、糾弾するよりも探究する姿勢が強調されるようになったのです。
 そこで、いま私たちは、「この一年で最も心が動かされた出来事は何か」をふり返ってみましょう。その心の動きを味わい直してみましょう。悲しかったことならば、その悲しみを味わい、うれしかったことならばその喜びを味わい直してみましょう。そして、その味わいを通して、神がこの私に何を問いかけているかを、感じ取ってみてはどうでしょうか。さらに、その出来事を通して、神の望みを生きる姿勢がますます強くなったかどうかを、ふり返ってみましょう。
 昨日よりも今日、今年よりも来年、私たちは神の望みにより近く生きることができるように、日々の生活を整えていきたいものです。そのためには、「ふり返りの達人」になることが求められています。
 この一年の恵みに感謝し、また教皇や日本の教会の意向によって祈った私たちの絆に感謝しながら、愛と希望に満ちた新しい年が来ますようにと祈りをささげてまいりましょう。