2017年1月  2.徹底した非暴力
 1月1日の「神の母聖マリア」の祭日で、新しい年2017年を迎えました。カトリック教会はこの日を「世界平和の日」と定め、世界中で心を合わせて祈ってきました。また、教皇はこの日に向けたメッセージを、毎年発表してきましたが、今回はちょうど50回目にあたります。題して「非暴力、平和を実現するための政治体制」です。教皇はこの中で、教皇パウロ六世以来の一貫した平和主義に言及し、非暴力こそが真の平和への道であり、福音は徹底した非暴力を説いていると結論付けています。
 日本の教会は、1月の意向として「世界平和への責任」を取り上げました。そして「対話による解決」に向けて、日本の社会が知恵を尽くすことができるようにと、ともに祈ることを求めています。そこで、今週は暴力の本質について思いめぐらしながら、知恵を編み出していく歩みを進めてまいりましょう。
 暴力は、本来、他者の身体や財産に対する物理的破壊力を指しますが、身体ばかりか精神(心)を破壊する言動も、暴力としてとらえるようになりました。しかし、本質は物理的破壊力に依拠しています。この物理的破壊力は、武器によって補強されます。ということは、武器が製造されなくなれば、平和への歩みが大きく前進するのです。ところが、戦争や紛争を抑止するためには、また、他から侵略を防衛するためには、武力を保持しておかなければならないという考えがはびこって、一向に武力の削減が進みません。ましてや、武器の製造には先端技術が用いられ、そのために高額な費用がかかります。それを製造する企業は、武器が使用されなければ、つまり武器が消費されなければ産業として成長できないので、武器を使用する方向に見えない力が働いていることも事実です。日本は武器の輸出を禁じていますが、完成に至らない武器の部品は輸出されているという現状があります。武器の製造と販売が、死のビジネスとして繁栄していることも知っておくべきでしょう。
 日本は戦争を放棄した国です。私たちの知恵で、徹底した非暴力と対話を貫くことこそが、すべての人にとっての平和への道であることを、世界中に示していくことができるように、祈りをささげてまいりましょう。