2017年2月  1.高山右近の列福式に寄せて
 戦国時代の武将、ユスト高山右近は、豊臣秀吉によるキリシタン弾圧により領地を失い、加賀藩に身を寄せた後、最終的に日本からフィリピンに追放され、1615年に客死しました。そのユスト高山右近は、殉教者としてこの2月7日、アンジェロ アマート枢機卿の司式のもと、大阪城ホールで列福式が挙行されます。
 式に参加することができない一人ひとりも、心を合わせてキリシタン時代の迫害を思い巡らしながら、右近の信仰を模範として、主の道を歩むことができるように、祈りをささげてまいりましょう。
 昨年の7月の日本の教会の意向に、「列聖運動の推進」が掲げられた折に、このページで高山右近の人となりや霊性について掲載致しました。どうぞそのページに立ち戻って、祈りを深めるための材料にしていただければ幸いです。
 さて、折しも遠藤周作原作の「沈黙」がマーティン・スコセッシ監督の下で映画化されて、全国でのロードショーが1月21日に封切りになりました。「沈黙−サイレンス−」と題したこの映画の場面は、まさに高山右近が生きた時代の出来事であり、その映画の一つひとつのシーンからも、迫害の激しさが伝わってきます。今でこそ私たちは、基本的人権を手に入れて、国連の「世界人権宣言」にあるように、信じる宗教の違いによって差別されることがない社会に生きていますが、17世紀初頭にあっては、まだ封建時代のただ中にあって、いのちが自分自身の手の中にない状況が続いていたのでした。
 信仰を捨てなければいのちが奪われていく、宗教弾圧の厳しい現実の中で、どのようにして右近や「沈黙」に登場するたくさんの殉教者たちは、自らの霊性を高めていったのでしょうか。今の私たちが、同じような状況に置かれたとすれば、どのような選択肢が残されていたのでしょうか。私たちは今、人々に正義と平和をもたらすイエスの道具として、殉教の道を歩むことができるほどの強く深い信仰をいただいているでしょうか。
 ユスト高山右近の列福式の日を指折り数えながら、強く深い信仰をいただくことができるように、祈りの輪を広げてこの一週間を過ごしてまいりましょう。