2017年2月 4.右近の証し |
2月7日にユスト高山右近の列福式が行われました。神の望みを生きた人の証しとして、教会が公に福者の列に加え、私たちの模範として示したこの出来事は、400年の時を隔てた今年2017年に営まれことに、どのような意味があるのでしょうか。そのことを心に置きながら、右近の生き方を味わってみましょう。 武力と武力が対峙して、その緊張関係で何とかバランスが維持される中で、弱者が強大な権力に怖じけながら見せかけの平和の隙間に物質的な豊かさへの欲望に駆り立てられる状況は、400年前も今も、そしてイエスの時代も、それほど違ってはいないように思われます。 私たちは、一人ひとりが大切にされるべき社会の実現のために、市民革命を経て主権在民の民主主義という統治の手段を手にし、信仰の自由が保障されて宗教帰属による差別がない生活を手に入れることができました。しかしながら、このような方向を常に後戻りさせるような力が働いていることも、認めざるを得ません。「悪の力」とでもいうのでしょうか、富のために自らの主張を正当化し、他を排除するように人の心に忍び寄る「悪」は、気づかないうちに私たちを分裂させ、正義の名の下に暴力を使用するようなことも容認するような事態へと導いています。 ユスト高山右近が証しした福音の道は、こうした「悪の力」に打ち勝ち、一人ひとりが大切にされるべき社会のために、自ら簡素な生活を送り、出会う人に自らをささげ、ともに生きることを中心にした道でした。そのために、毎日を神とともに、そして神の願いを自分の望みと重ねて生きることができたかどうかを、日々をていねいに振り返った生活でした。しかしその生き方は、「悪の力」にとって大きな妨げであったに違いありません。いかなる困難や迫害に遭遇しても、その生き方の柱は揺らぐことはありませんでした。 今のこの世界で生きている私たちに迫る「悪の力」に打ち勝つことができるよう、右近の生涯に学びながら、神とともに生活を整えていく道を歩んで参りましょう。 |