2017年3月  3.完全な者となりなさい
 全世界に向けて教皇は、迫害されているキリスト者たちの支援を呼びかけています。すべての人に対して、基本的人権が認められている現代社会でも、国によってはその政治体制から、地域によってはその固有の文化から、そして人々の心の中に潜む差別と偏見の意識から、特定の宗教が差別されたり拒否されたりする事実は、残念ながら消えることはありません。
 教皇の祈りの意向は、迫害が一日も早くなくなりますようにとの願いが込められていますが、迫害を加える人々については触れてはいません。むしろ、迫害されている人の傷みを自分の傷みとして感じ取り、迫害されている人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、できる限りの物的、精神的援助を行うようにと勧めているのです。このように、迫害する人々に対して怒りの矛先を向けたり、憎んだりすることがないようにとの配慮を感じ取ることができる意向になっていることに気づきます。
 イエスは、山上の垂訓(すいくん)で、「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と弟子たちに教えられ、続けて「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。」と言われました(マタイ5・1-11参照)。さらに続けて、それまでの律法の解釈を超えて、「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである」と言って、『腹を立ててはならない』『姦淫してはならない』『離縁してはならない』『誓ってはならない』『復讐してはならない』と完成への道を示されました。そして最後に、『敵を愛しなさい』という完全な者となるための心のあり方を示されたのです。
 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」という、それまでの「隣人を愛し、敵を憎め」という律法とはまるで反対の心の姿勢を示し、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者になりなさい」と言われたイエスの教えを心に留めて(マタイ 5・43-48参照)、キリスト者に対する迫害を祈る中で、『迫害する人のための祈り』を心に留めながら、この四旬節のひとときを過ごしてまいりましょう。