2017年4月  4.はい、退けます
 桜前線が北上を続けています。教会の典礼暦もご復活の喜びの中で、花が咲き若葉があふれ出るこの季節の、いのちの息吹を味わっています。
 復活徹夜祭のミサで、また復活の主日のミサで、洗礼によって新しいいのちに生まれ出でた方々も、この息吹を味わっていることでしょう。おめでとうございました。
 さて、洗礼式の中で、「悪霊の拒否」という項目があります。洗礼式の式文では、三つの形式があって、「退けます」あるいは「捨てます」と受洗者は答えます。そのすぐ後に信仰宣言が行われるのです。キリスト教は、悪の存在を前提にしている宗教です。イエスは40日間の荒れ野での生活の最後に、悪魔から誘惑を受けましたが、みごとにそれを退けました。私たちを罪に陥(おとしい)れるために誘(いざな)う悪を退けるようにと、努めなければなりません。そのために、度あるごとに唱える主の祈りは、最後の文を「悪からお救いください」で締めくくられています。
 ところで、教会活動や学びの集いの中で、具体的にどのようにしたら悪を退けることができるかについて深める機会は多くありません。悪を退けて復活した主とともに神の国の完成に向けて歩む私たちは、いま、悪の本質に迫って、その誘いの特徴をつかんでいくことも必要なのではないでしょうか。
 悪は、基本的にはいのちを亡ぼす力に向かっています。それとは対象的に、善、すなわち聖霊は、いのちを活かす方向に向かっています。心の動きを確認して、それに従うといのちが活かされるのか亡ぼされるのかを識別できれば、悪を退ける、つまり悪の誘いを見いだしてそれを拒否することになります。
 悪が好む状況を理解しておくことも役に立ちます。皆で協力して物事を進めるよりも、一人でやってしまうほうが好きなようですし、正直に事実を明らかにすることよりも、秘密にしておくこと、内緒にしておくことを好むようです。自分の経験をふり返ってみて、悪に誘いに従ってしまったときの様子を味わい直してみると、悪の好みがだんだんと分かってくものです。
 さて、どのようにして悪を退けたらよいのでしょうか。教皇フランシスコはある年の灰の水曜日の説教の中で、「悪と対話してはいけません」「悪に対して、み言葉を持ってそれを退けなさい」「イエスはみ言葉で悪を退けました」と話されました。み言葉を生きることで、悪の誘いを絶ち切ることができることを強調しておられました。
 主の昇天、聖霊降臨に向けて典礼暦を過ごす私たちは、「はい、退けます」と宣言したことを日々実践して過ごすことができるように心がけて参りましょう。