2018年2月  3.重い皮膚病
 人間の歴史の中で、長い間恐れられ、不治の難病とされてきた一つにハンセン病があります。日本聖書協会の聖書では「重い皮膚病」と記されています。これは、らい菌が主に皮膚と神経を侵す慢性の感染症です。1873年にらい菌を発見したノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師の名前をとり、ハンセン病と呼ばれるようになりました。そして、1943年には米国で「プロミン」がハンセン病治療に有効であることが確認されたのを契機に、治療薬の開発が進み、1981年に世界保健機構(WHO)が多剤併用療法をハンセン病の最善の治療法として勧告するに至りました。現在、ハンセン病は完全に治る病気になっています。
 ところが、皮膚と神経が侵されたことで皮膚や顔立ちが変形したりすること、そしてまた原因が不明なゆえに伝染性があるのではといった感染の恐れから、社会的な差別を受け、偏見の目は鋭く患者に注がれ、社会から排除されてきました。キリスト教の聖書だけでなく、古代中国の文書、インドの古典、さらには日本書紀にもその記述があって、いずれの社会においても天刑、業病、呪いなどと考えられ、忌み嫌われてきたことが判ります。
 日本においても、歴史上の人物では戦国武将の大谷吉継がハンセン病に罹患していたとされ、病気に関わる逸話が伝わっています。また古い時代から、家族に迷惑がかからないように住み慣れた故郷を離れて放浪する「放浪らい」と呼ばれた方も数多くいました。その後、明治時代に入り「癩予防に関する件」「癩予防法」の法律が制定され、隔離政策がとられるようになり、ハンセン病患者の人権が大きく侵害されました。第二次大戦後も強制隔離政策を継続する「らい予防法」が制定され、苦難の歴史は続きました。療養所で暮らす元患者らの努力等によって、「らい予防法」は1996年に廃止され、2001年に同法による国家賠償請求が認められました。
 日本の教会は「世界病者の日」に際して、難病治療の支援を今月の意向に掲げました。今なお治療法が確立されていない病いも、ハンセン病のように医学や薬学の進歩によって治療法が確立されるようにと、心を合わせて祈ってまいりましょう。そして病気や疾患によって偏見や差別を受けることのない社会の確立に向けても、ともに祈ってまいりましょう。