2018年2月 4.適正な価格をどのように決めたらよいか |
教皇は今月の意向で「汚職に対して『ノー』と言う」姿勢を貫くことを呼びかけています。 今でも開発途上の国々では、権力を手に入れた人が、その地位を利用して利権を獲得して蓄財していることがたびたび報道されています。日本ではこの数年の間、このようなタイプの汚職は影を潜めていますが、一方で、談合、価格カルテルなど、公共事業等の大規模な工事にまつわる事件がたびたび報道されています。これらの事件は、自由競争に基づいた入札制度の裏で、それを回避してできるだけ利幅の高い価格で受注できるようにするための、組織としての犯罪であることが特徴です。 公共事業をはじめ、鉄道の新設などの大規模な土木建設工事は、莫大な費用がかかりますが、その価格が適正なのかはなかなか判断できません。契約を結んでその価格で工事を完了させなければなりませんから、不測の事態に備えてできるだけ高く受注したいという力がいつも働いています。しかも、発注側が想定している金額、つまり予算額を超えないで、最も高いところを狙うことになります。その金額についての情報を手に入れるために、会社ぐるみで担当者に金品を提供し、贈賄・収賄事件となることも多いのです。談合によって受注側が不当な利益を得ていると言い切ることはできませんが、自由な競争が損なわれる事態となることは事実ですし、金額の多少にかかわらず結局は税金の無駄使いにつながってしまうのです。 適正な価格をどのような仕組みで決めることが最善の方法なのでしょうか。完全に自由な競争入札ですと、手抜き工事を誘発する危険も伴います。私たちが生活する日本は自由経済社会ですから、需要と供給のバランスで価格が決定される仕組みは経済学理論に示されたとおりですが、その仕組みに従った末での「儲け過ぎ」「儲けがなさ過ぎ」も問題です。 少なくとも犯罪行為に至らない適切な競争を期待することなのでしょうか。個人としてもまた組織としても、コンプライアンス(法令遵守)の精神を尊重するように努めて欲しいと願います。 今週は、組織としての「汚職」の一面をもつ「談合」に注目し、その根絶のために心を合わせて祈ってまいりましょう。 |