2018年3月  1.識別の力
 教皇は今年の四旬節のメッセ−ジの中で「偽預言者」について語り、「わたしたちは、自分がこの偽預言者の嘘にだまされていないか、自らの心を各自で識別し、見極めるよう求められています。その場限りの表面的なレベルにとどまらずに、心にいつまでも残るよいしるしを見分けるすべを学ばなければなりません」と述べています。これは、今月の意向に示された「霊的識別の養成」にほかなりません。では、具体的にどのようにして識別の力を養うことができるのでしょうか。
 当サイトのトップページや「しおり」「カレンダー」の表紙には、どのようにして新しい一日を迎え、どのようにしてその日を閉じればよいかを示した数行の文が載っています。休む前に「ありがとう」「ごめんなさい」「よろしくおねがいします」と心の中で語りかけることを勧めていますが、これは「意識の究明」という、神のまなざしで一日の振り返る祈りに依拠しています。意識の究明については、霊性センター「せせらぎ」のサイトの「祈りと生活」の「生活の霊性」のページに、その具体的な方法が掲載されています。簡潔に述べるならば、それは、神のうながしに従い神の望みにそって過ごすことができた出来事や行いに感謝して「ありがとう」と言い、神の望みではなく、偽預言者、つまり悪の誘(いざな)いに従ってしまったことに気づいたら、陳謝して「ごめんなさい」と言い、また翌日に神と人々にささげる一日を迎えることができるようにと、聖霊による清めを願って「よろしくおねがいします」言う心の姿勢として捉えることができます。つまり、一日をていねいにふり返りながら、霊の動きを識別する日々を過ごすことを奨めているのです。
 ユスト高山右近が列福されて一年が過ぎました。右近が生きた時代には、キリシタンたちは信徒のグループを作って「組」と呼び、信仰生活を支え合っていました。その「組」の一つに「さんたまりあのくみ」がありますが、心得の第五条には、「毎日、起床時の勤めと就寝時の『良心の糾明(意識の究明)』を必ず励行すること」と記されています。右近も、このような心得に従って、祈りの中で生活を整えていたことがうかがわれます。このように、神のうながしなのか、それとも、神に反する力である悪のうながしなのかを、日々繰り返して究明することが、識別の力を養うこととなるのです。
 私たちも、毎日、究明を重ねて、識別の力を養ってまいりましょう。