2018年4月  4.禍転じて福となす
 『戦国策』には「聖人の事を制するや、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」とあり、『史記』蘇秦列伝には「臣聞く、古の善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す」とあります。失敗を元に成功を収めるという意味ですが、自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫することを指す格言として用いられるようになりました。「禍」の代わりに、同じ「わざわい」読み方の「災」の字を用いることもあります。
 この格言には、現実に起こっている悲しみや苦しみ、痛みや困難を、いくら憂(うれ)いても悔(く)やんでも、その状況が改善されるわけではないので、一旦その禍をあるがままに受容したうえで、プラス思考で積極的に、新しい目標に向かって生活を整えていくことができますように、との心の願いが込められているのでしょう。「今ここを、あるがままに価値判断なく気づく」ことができるように、と自分の感覚・感情・思考に対し心の距離をもって自己観察する「ヴィパッサナー瞑想」に通じるものがあります。この瞑想法は、特にネガティブな感覚(痛み)、感情(怒り)、思考(決めつけ)から離れると同時に、その存在を無条件に肯定し受容していく意識の営みで、イエスの教えたアガペの愛、つまり、無償・無条件の愛の内容と重なるものだとされています。
 日本の教会の意向は、「被災者」で、「今なお苦しむ人に必要な助けが与えられますように」と祈り願うように勧めています。親しい人の死を伴う自然災害や事故は、大きなストレスとして心にのしかかっています。そのことに対して、心の距離をもって、しかも無条件に肯定して受容することは、それほど容易(たやす)いことではありません。しかし、「心を整えることで安寧な生活に導かれる」といった人類の知恵も、きっと被災者の方々に役立つことでしょう。
 もちろん、災害による犠牲者がでないように対策を講じること、被災者に経済的・物資的援助の手を差しのべること、災害や事故に至った原因を究明しその責任の所在を明らかにすることは、とても大切なことで、私たち一人ひとりが心がけなければならないことです。と同時に、被災者の心に一日も早く平安が訪れるように、被災に際しての格言や瞑想法など、人類が積み重ねてきた知恵を、ともに学んでいくことも大切のことです。
 日本の教会の意向に心を重ねて、災害について思い巡らし、被災者のために祈ってまいりましょう。